はじめに
今の時代、ぼくたちはあまりにも「妥当な答え」ばかりを求めていないだろうか。
すべてを数値化し、予測可能な範囲で平穏に生きる。それが大人のマナーであり、僕が掲げる「Calm-Strength(静かな強さ)」の一側面でもある。
けれど、心の奥底には、その静寂をぶち破るような「途方もないハッタリ」を渇望している自分がいる。
ふと思い出すのは、かつてジャンプの誌面で光り輝いていた、リングにかけろの世界だ。
01. 「ギャラクティカ・マグナム」という救い
もし、令和の格差社会に高嶺竜児や剣崎順がいたら。
彼らはきっと、スマホの画面に収まるような小さな成功には目もくれないだろう。
剣崎は、巨大プラットフォームを支配する若きリーダーとして、完璧な理論で世界を掌握する。
一方の竜児は、自己肯定感の低さに悩みながらも、姉・菊の構築した「勝利のアルゴリズム」を拳に乗せて、絶望的な格差に挑む。
令和版の「必殺技」は、もしかしたら物理的なパンチではないのかもしれない。
それは、停滞した空気や「どうせ無理だ」という諦念を、一瞬で書き換えてしまうような――
理屈はわからない。でも、なぜか効いてしまう一撃だ。
02. 「宿命」を「美学」に昇華する
『リンかけ』の魅力は、何と言ってもそのケレン味(ハッタリ)と、逃れられない「血の宿命」にある。
今の若者たちは「親ガチャ」という言葉で自嘲するけれど、竜児たちはその宿命を、自らの必殺技に変えて突き進んだ。
香取石松の陽気な不屈さ、志那虎一城のストイックな求道心、河井武士の孤独な旋律。
彼らの生き方は、効率やコスパが支配する現代において、もっとも「非効率」で、もっとも「美しい」ものに見える。
03. 50代、再び「中二病」を飼い慣らす
ぼくたちはいつから、必殺技を叫ぶのをやめてしまったのだろう。
現実というリングで、ジャブ(調整)とクリンチ(回避)を繰り返し、判定勝ちを狙うような生き方。
負けないことを最優先にした、どこか守りに入った毎日。それも一つの強さだ。
けれど、たまには心の中で叫んでもいいのではないか。
「ギャラクティカ・マグナム」と。
それは幼稚な妄想ではなく、現状を打破しようとする「祈り」に近いエネルギーだと思うのだ。
おわりに:自分だけの「ブーメラン」を
あしたのジョーのように、真っ白に燃え尽きる覚悟はないかもしれない。
万吉のような巨大な器もないかもしれない。
けれど、右拳を突き出せば世界が変わると信じられた、あの根拠のない全能感を、ぼくは今でも愛している。
静かな日常の裏側に、自分だけの「必殺技」を隠し持っておく。
そんな大人の遊び心が、この乾いた令和の街を少しだけ鮮やかにしてくれる気がしている。
たとえばそれは、ずっと先送りにしていた一つの決断かもしれない。
やめることでもいい。始めることでもいい。
誰にも見えない場所で、自分だけの「必殺技」を一度だけ撃ってみる。
それだけで、景色はほんの少し変わる。
今夜は、ドラマチックなピアノの旋律でも聴きながら、かつて夢見た「黄金の日本Jr.」の輝きを思い出してみようか。
(あとがき・注釈)
※本記事は『リングにかけろ』をテーマにした、50代の視点による思考実験です。
物語再解釈(Re-Story)シリーズ
・静かに生きるはずだったのに、なぜジョーを思い出すのか ―― 令和版『あしたのジョー』を妄想する
・正論で人は動かない ―― 令和の空の下、戸川万吉の「器」を想う
