PR

🚶‍♂️退社後、誰にも会わない帰り道 最終話

スポンサーリンク
退社後、誰にも会わない帰り道

家まであと10メートル、鍵を握る手に意識が向く回

退社の瞬間

ビルの自動ドアを背にした瞬間、
自分を縛っていた目に見えない「役割」の糸が、ぷつりと切れた。

夜風は湿り気を帯び、アスファルトの匂いを運んでくる。
いつもの道を、いつもの速さで歩く。

この二十分か三十分。
私は誰の視線も浴びず、
誰の期待にも応えず、
ただの自由な「個体」でいられた。

その時間が、今まさに終わろうとしている。


歩き始める

アパートまで続く、最後の直線。
街灯の下を通り過ぎるたび、
自分の影が前へ伸びては、後ろへ消えていく。

ポケットの中で、金属の塊が指先に触れた。
キーホルダーに付けられた、自宅の鍵だ。

私は無意識のうちに、
それを掌の中で転がしていた。

角の取れた真鍮の感触。
複雑に刻まれた溝の凹凸。

この小さな金属片が、
私の帰る場所と、外の世界を隔てる
たったひとつの境界線だった。


考えが勝手に浮かぶ

ドアを開ければ、生活が待っている。

洗濯物。
冷蔵庫の低い音。
明日への準備。
そして、自分を待っている「私」という役割。

あと十メートル。

鍵を握る手に力を込めると、
その冷たい硬さが、
帰り道という自由な「空白」の終わりを告げていた。

もっとゆっくり歩けば、
この時間を引き延ばせるだろうか。
あるいは、このまま通り過ぎてしまえば。

そんな考えが頭をよぎる。

けれど足は迷わない。
階段を上り、
いつものドアの前に立つ。

私はここで、
ただの歩行者から、
ひとりの「生活者」に戻らなければならない。


答えを出さずに終わる

ドアの前で立ち止まり、
鍵を鍵穴に差し込む。

カチリ、と音がして、
世界がひとつ閉じる。

手に残った鍵の冷たさは、
いつの間にか体温に馴染み、
少し生ぬるくなっていた。

このドアを開ければ、
今日という一日は完成し、
静かに記憶の底へ沈んでいく。

それでいいのかどうかは、
まだ考えない。

今はただ、
重いドアを押し開けるだけだ。

今日は、そうだった。
それだけ。

▶ 関連記事 → 50代おっさんの“仕事に行きたくない朝”4選|限界を感じたときの小さな出口

タイトルとURLをコピーしました