自販機の青い光に、少しだけ迷う
退社の瞬間
ビルの裏口を出ると、湿った風が首筋を撫でた。
雨が降り出しそうな、重たい夜だ。
カバンの中には、さっきまで握っていたマウスの感触が、まだ残っている。
指先を軽く曲げ伸ばししてみるが、こわばりは取れない。
駅へ向かう途中、暗い路地に一台の自動販売機があった。
四角い青白い光を放ち、そこだけが昼のように明るい。
歩き始める
その光に吸い寄せられるように、私は立ち止まった。
喉が渇いているわけではない。
ただ、整然と並んだ缶の列を眺めていると、
頭の中のノイズが、少しだけ静まる気がした。
コーヒー。
お茶。
エナジードリンク。
コーンポタージュ。
それぞれに割り振られたボタンと、その下に表示された金額。
ここでは、私が何を選んでも、誰の仕事も増えない。
考えが勝手に浮かぶ
会社では、どんな選択にも「理由」が求められた。
なぜこのフォントなのか。
なぜこのタイミングなのか。
なぜこの予算なのか。
一方で、自販機のボタンを押す行為には、
正当性も、責任も、説明もいらない。
「なんとなく」で、押していい。
その自由を確かめるように、
私は小銭入れから百円玉を数枚取り出した。
冷たい硬貨の縁を、指先でなぞりながら迷う。
甘いものにするか。
苦いものにするか。
この小さな迷いが、
今日一日、誰かの意向に沿って動き続けていた自分を、
ゆっくりと「私」に戻していく。
答えを出さずに終わる
結局、一番右端にある、何の変哲もない緑茶のボタンを押した。
取り出し口に落ちる、ガコッという重たい音。
缶は、温かくも冷たくもない。
評価も不満もされない一日のような温度を、掌に残した。
一口も飲まないまま、
それをカバンの外ポケットに差し込む。
何かを決めたという、かすかな満足感。
そして、それすらすぐに消えていく虚しさ。
自販機を背に歩き出すと、
街灯の影が、足元から静かに伸びてきた。
今日は、そうだった。
それだけ。
