―― なぜ彼の歌は「答え」を書かなかったのか ――
これは音楽評論でも、正解を示す文章でもない。
あくまで、いまの自分がボブ・ディランの歌を聴いて感じた、個人的な考えを辿った記録だ。
最近、ボブ・ディランの
「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」を聴いて、ふと思った。
この歌は、もう60年以上も前に書かれたはずなのに、
今の若者が感じている息苦しさや、
答えの出ない不安と、妙に重なって聞こえる。
希望を語っているわけでもない。
正解を示しているわけでもない。
それなのに、なぜか今の空気に合っている。
なぜ、この歌は時代を超えて残っているのか。
そして、なぜボブ・ディランは、
答えを書かない歌を選んだのか。
この歌は、答えを出さない
この歌は、答えを出さない。
励ましもしない。
正解も提示しない。
改めて日本語訳の歌詞を読み返してみて、
それがはっきり分かった。
言葉は驚くほど素朴で、
難しい表現も、特別な比喩もない。
それなのに、どの行も途中で止まっている。
「人は何度、道を歩けば一人前と呼ばれるのか」
「白い鳩は、何度飛べば砂に眠れるのか」
問いは続く。
でも、答えは最後まで書かれない。
慰めるわけでもなく、
導くわけでもなく、
ただ「どう思う?」と置いていく。
この歌は、希望を与える歌ではない。
考える場所を残す歌だ。
英語では流れていた言葉が、日本語だと急に重くなる
英語で聴いているとき、
この歌の言葉は、どこか風景の一部のように流れていく。
意味を追っているつもりでも、
感情の輪郭までは、はっきり掴まない。
ところが、日本語訳の歌詞を読むと、
言葉が急に足を止める。
「人は何度、道を歩けば一人前と呼ばれるのか」
この一行が、
ただの比喩ではなく、
評価され続ける人生そのものの問いに変わる。
英語では、問いは風に乗って流れていく。
日本語では、問いがその場に落ちて、動かなくなる。
逃げ場がない。
意味が分かることで、
どこか守られていた曖昧さが消え、
分からなさだけが、はっきり残る。
だからこの歌は、
日本語で読むと重い。
答えをくれないことが、
はっきり見えてしまうからだ。
ディランの起源は「借り物の声」だった
ボブ・ディランの起源を辿ると、
必ず行き着く名前がある。
若い頃のディランは、
ウディの歌い方、言葉、姿勢を徹底的に吸収した。
・ギター一本
・上手さより、伝えること
・社会の底辺にいる人の声を歌う
正直に言えば、
初期のディランは、ウディの影の中にいた。
でも、それは悪いことじゃない。
人は最初、
誰かの言葉を借りなければ、自分の声を持てない。
ディランが超えたのは、技術ではない
ディランがウディを超えた瞬間は、
ヒット曲を出したときでも、
エレキを持ったときでもない。
決定的だったのは、
「正しいことを言う」のをやめた瞬間だと思う。
ウディは、はっきり歌った。
誰が悪いのか。
何が間違っているのか。
それは必要な音楽だった。
でもディランは、途中からそれをしなくなった。
代わりにやったのは、
問いを置いて、立ち去ること。
「答えは、風に吹かれている」
これは逃げではない。
断定しないという、選択だった。
なぜ「答えを書かない歌」になったのか
ディランの歌が長く残った理由は、
内容が正しかったからではない。
未完成だったからだ。
・結論がない
・解釈が割れる
・聴く人の数だけ意味が変わる
完成された言葉は、
時代が変わると古くなる。
でも、問いは古びない。
訳さずに聴くという選択
だから最近、思う。
もしかしたら、
訳さないで聴くのが、いちばんディラン的な聴き方なのかもしれない。
意味を完全に理解しないことで、
問いは風の中に残る。
分からないままでいることで、
こちらも身構えずに済む。
日本語訳を読むことは、
立ち止まって考える行為だ。
でも、訳さずに聴くことは、
考えきれないまま、そこに居ることに近い。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ、
ディランが最初に差し出したのは、
説明ではなく、状態だった。
起源を考えて、今に戻る
ボブ・ディランの起源を考えているうちに、
結局、こんなところに戻ってきた。
人は、最初から自分の言葉で生きているわけじゃない。
誰かの声を借り、
誰かの考えに影響され、
少しずつズレながら、
ようやく自分の立ち位置を見つける。
ディランも、そうだった。
だから彼の歌は、
「こう生きろ」と言わない。
「どう思う?」とだけ、残す。
まとめ
- ボブ・ディランの起源は、ウディ・ガスリーだった
- でも彼は、コピーで終わらなかった
- 正しさより、問いを選んだ
- 答えを書かないことで、時代を超えた
今、答えを出せない感覚は、
弱さではない。
まだ考え続けている、という証拠だ。
ボブ・ディランの歌が
今も耳に残るのは、
その未完の感じが、
今のぼくらとよく似ているからなのかもしれない。
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