誰にも会わない日は、楽で、少し怖い
退社の瞬間
最後に「お疲れ様でした」と声を出したのは、もう三時間も前だった。
それから退社するまで、ぼくの声帯は一度も使われていない。
パソコンの電源を落とし、デスクの上の私物をカバンに入れる。
周囲では数人が黙々と作業を続けていて、視線が合うこともない。
椅子を引く音をできるだけ立てないようにして、
誰にも気づかれないまま、フロアを出た。
今日は、何も引っかからずに終われた。
それが、少しだけ不思議だった。
歩き始める
外に出ると、冷たい風が頬に当たった。
マフラーに顎を埋め、人通りの少ない裏道を選んで歩く。
今日は、仕事上の会話も最低限だった。
指示を出し、メールを書き、資料を直す。
やり取りはすべて記号のようで、
血の通った言葉を、誰とも交わしていない。
足音だけが、一定のリズムでコンクリートに返ってくる。
それ以外の音は、ほとんどない。
勝手に浮かぶ考え
誰にも会わなくていいのは、正直、楽だ。
気を遣って笑う必要も、
相槌のタイミングを測る必要もない。
自分の内側にある静けさを、
誰にも触られずにいられる。
でも、その「楽さ」の裏側に、
薄い氷の上を歩いているような感覚が張り付いている。
このまま誰とも話さず、
誰の目にも留まらずにいたら、
ぼくはいつか、世界から透けて消えてしまうんじゃないか。
もし今、この道で立ち止まって動かなくなっても、
明日の朝まで、誰も気づかないかもしれない。
そんな考えが、夜の空気に混じって、足元にまとわりつく。
孤独は自由だ。
でも、自由すぎて、掴めるものがない。
すれ違う見知らぬ誰かの話し声や笑い声が、
遠い国の言葉のように聞こえた。
答えを出さずに終わる
アパートの階段を上り、部屋の前に立つ。
ポケットから鍵を出し、鍵穴に差し込む。
ガチャリ、という乾いた音。
このドアを開ければ、
今日という一日は
「誰にも会わなかった日」として完成する。
このままでいいのか。
それとも、どこか間違っているのか。
ドアノブを回す手のひらに、
冷たい感触だけが残った。
今日は、そういう日だった。
それだけだ。
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