PR

💭人生が詰まった気がした朝|50代、独りから始まる物語 第2話

スポンサーリンク
50代、独りから始まる物語

☁️ 詰まった朝

歯磨き粉のキャップを閉める手が止まった。
鏡の中の自分が、どこか遠くの人みたいに見える。
髪の毛の隙間に混じる白、
目の下のくま、
笑っても動かない口元。

「俺、最近いつ笑ったっけな。」
呟いた瞬間、胸の奥で何かが音を立てた。
小さく、でもはっきりと。
“詰まってるな”と、思った。

洗面所の蛇口から流れる水の音が、やけに響く。
体は動いているのに、心が前に進まない。
昨日も働いた。今日も働く。明日も多分、同じ。
そんなループの中で、「生きている実感」だけが抜け落ちていた。


🧠 積み上げてきたものの正体

二十代は、がむしゃらだった。
三十代は、責任と体力のせめぎ合い。
四十代は、我慢の連続。
そして今、五十代。
積み上げたはずのものが、思ったより静かだ。

ちゃんと働いてきた。
家賃も払ってきた。
トラブルも避けてきた。
でも、
「俺はどこに向かってるんだ?」
その問いに、誰も答えをくれない。

ニュースでは「人生100年時代」と言う。
なら俺は、折り返し地点に立っている。
だけど、半分来たというより、
“どこにも着いていない”感覚のほうが強い。

気づけば、
「幸せ」という言葉を口に出さなくなった。
無意識に避けている。
幸せを語るには、心の中に少し余白がいる。
でも今の俺には、その余白が見当たらない。


🚶 心が詰まる音

出勤途中、信号待ちの交差点で、
古い自転車を押す少年を見かけた。
サドルが少し高すぎて、足先がやっと地面に届く。
ペダルを踏むたびに、車体がぎこちなく揺れていた。

なぜか、その姿が胸に刺さった。
“あの頃の俺”が、そこにいた。
転んでも笑って、膝を擦りむいてもまた乗って。
あのときの俺は、世界を信じていた。

信号が青に変わる。
少年は前を向いてペダルを踏んだ。
俺は足を止めた。
心のどこかが、また小さく詰まった。

泣くほどじゃない。
でも、喉の奥に何かが引っかかったままだ。
それは悲しみじゃない。
“まだ動きたい”という衝動に近い。


🌤️ 詰まりは、まだ生きてる証拠

帰り道、ふとスマホを見た。
SNSでは、同年代がそれぞれの節目を迎えている。
「早期退職しました」
「夫婦で田舎暮らしを始めました」
「再婚しました」
どの言葉にも、“新しい物語”があった。

それを羨ましいと思う気持ちと、
「俺にも、まだ物語があるのか?」という問いが、
胸の中でぶつかり合った。

でも気づいた。
こうやって心がざわつくということは、
まだ俺の中に、“変わりたい自分”がいるということだ。

人生が詰まったように感じるのは、
心がまだ“流れようとしている”証拠かもしれない。
詰まりとは、生の気配だ。
完全に乾いた人間には、もう詰まるものすらない。


🌙 小さな出口

家に帰ると、音もなく夜が降りていた。
照明の明かりがやわらかく部屋を包む。
ふと、昔好きだった曲をかけてみた。
イントロのギターの音が鳴った瞬間、
胸の奥に、忘れていた温度が戻ってきた。

あの頃の自分が笑っていた理由を、
少しだけ思い出した気がした。
誰かのためじゃなく、自分のために動いていた。

今夜は、もう考えすぎるのはやめよう。
“詰まっている自分”も、今日の自分の一部だ。
心はまだ動いている。
ゆっくりでいい。
詰まった場所を、少しずつ通していけばいい。

スポンサーリンク

🔸 小さな出口(今日の一歩)

  • 「心が詰まってる」と思った瞬間に、深呼吸を1回
  • 昔の自分が好きだった音楽をかける
  • **「まだ間に合う」**という言葉を声に出してみる
  • それが、今日の“再起動ボタン”

最後まで読んでいただきありがとうございました。


🪷 心の四季 ― シリーズ全体の地図

第1〜5話=心の冬(停滞・苦悩)/ 第6〜10話=心の春(癒し・受容・再出発)

この章の位置:第2話=「苦悩(気づく)

心理の連なり:
停滞 → 苦悩 → 癒し → 受容 → 再出発 → 解放 → 再起 → 受容 → 安心

各話は独立しつつも、全体では「心の冬」から「心の春」へ滑らかに移行する構造です。
自分が今どの季節に近いかを感じながら読むと、物語がより自分ごととして響きます。

タイトルとURLをコピーしました