🌅 冬の海へ向かう朝
平日の午前、ふと思い立って海へ向かった。
目的なんてなかった。ただ、胸の奥に重く沈んでいる何かを、風に当ててみたかっただけだ。
電車に揺られ、バスに乗り換え、海岸沿いの道を歩く。
空は淡い青で、ところどころ薄い雲がかかっていた。
冬の光は夏と違って優しい。照りつけることもなく、静かに景色を照らすだけだ。
その柔らかさに、心も少しずつ緩む気がした。
海沿いの遊歩道に着くと、風が頬をかすめた。
冷たいのに、痛くはない。
まるで「大丈夫だよ」と言われているような優しさがあった。
🌊 ベンチと波の音
遊歩道の先に、小さなベンチがあった。
誰も座っていない。
それだけで、なんだか自分のためだけに用意されている気がした。
ベンチに腰を下ろすと、海が広がって見えた。
波が寄せては返し、白い泡を残して引いていく。
そのリズムは、ずっと昔から変わらず続いているはずなのに、今日の波は少し違って見えた。
「ずいぶん遠くまで来たな」
自分の人生のことを言っているのか、海のことを言っているのか分からない。
波の音を聞いているうちに、心の奥から何かがゆっくり浮かび上がってきた。
忘れたふりをしていた気持ち、目をそらしていた後悔、
そして、ずっと自分を苦しめていた“過去の自分”の姿。
🕊️ 過去を見つめ直す
波が砂浜をさらうように、記憶が静かに心を洗っていく。
思い出すのは、若いころの自分。
仕事がうまくいかなかった時、誰にも相談できなくて空回りしていた日々。
いらない強がりばかりで、本音で生きられず、人との距離を自分でつくってしまった。
あの頃の自分は多分、必死だった。
ただ、生き延びたくて、恥をかきたくなくて、
心が壊れないように守っていただけだったのかもしれない。
「苦しかっただろうな」
そう思った瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
許したくない相手がいた。
迷惑をかけた相手もいた。
そして、自分自身に対しても、深い失望を抱えていた。
でも海の前に座っていると、どれも大したことじゃない気がしてくる。
誰だって、間違える。
誰だって、迷う。
完璧に生きられる人なんていない。
波は誰の名前も呼ばず、誰の傷も責めない。
ただ寄せてくるだけだ。
🌤 許すという、静かな行為
ベンチにもたれながら、ゆっくりと深呼吸をした。
海風が肺の奥まで届く。
「もういいよ」
その言葉は誰に向けたものだったのだろう。
過去の自分か。
許せなかった相手か。
それとも、今の自分か。
分からないけれど、声に出した瞬間、
ずっと重かった荷物がすっと軽くなった気がした。
海は何も変わらずそこにあるのに、
自分だけが少し変わった気がする。
許すというのは、相手のためじゃない。
自分がこれ以上苦しまないための“解放”なんだ。
波を見ているうちに、それがようやく理解できた。
☕ 温かい飲み物と、新しい時間
海沿いの売店でホットレモンを買い、ベンチに戻った。
温かい紙コップを両手で包むと、体の冷たさがゆっくり溶けていく。
甘さと酸味が、疲れた心にじんわりしみた。
冬の海は、どこか寂しいけれど、決して暗くはない。
人が少ない分、海本来の声がよく聞こえる。
その静けさが、今の自分にはちょうどよかった。
遠くで釣り人が竿を振り、
砂浜では小さな子どもが貝殻を拾っている。
どれも、穏やかな“生活の風景”。
自分の人生も、
こんなふうに静かでよかったのかもしれない。
激しくなくていい。
派手じゃなくていい。
ただ、自分のペースで進めばいい。
🌱 まとめ ― 海がくれた答え
ベンチから立ち上がり、海をもう一度振り返る。
波は相変わらず、淡々と寄せては返している。
でも、さっきよりも眩しく見えた。
「許す」という行為は、
涙が出るほど劇的なものではない。
誰かに褒められるものでもない。
それは、
“静かに、心の奥で扉が開く瞬間”
みたいなものだ。
過去は消えない。
後悔も消えない。
でも、それを抱えたままでも前に進める。
今日、海はそれを教えてくれた。
帰り道、胸の奥が不思議なほど軽かった。
まるで、長い旅を終えて、ようやく深く息ができたような気分だった。
――許すことは、自分を自由にすることだった。
🕯️ エンディングメッセージ
海は過去を洗い流さない。
けれど、人の心を静かに整えてくれる。
赦すことは、忘れることじゃない。
“もう自分を苦しめない”と決めることだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
🪷 心の四季 ― シリーズ全体の地図
第1〜5話=心の冬(停滞・苦悩)/ 第6〜10話=心の春(癒し・受容・再出発)
この章の位置:第9話=「受容(許す)」
心理の連なり:
停滞 → 苦悩 → 癒し → 受容 → 再出発 → 解放 → 再起 → 受容 → 安心
各話は独立しつつも、全体では「心の冬」から「心の春」へ滑らかに移行する構造です。
自分が今どの季節に近いかを感じながら読むと、物語がより自分ごととして響きます。
⌛次の記事は今、静かに仕上げているところです。
もう少しだけ待っていてください。準備が整い次第、ここにリンクを置きます。

