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💭朝、立ち止まったままの自分へ|50代、独りから始まる物語 第1話

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50代、独りから始まる物語

☁️ 動けない朝

カーテンの隙間から、薄い光が一本だけ差し込んでいる。
スマホは黙ったまま机に伏せてある。アラームは鳴っていたらしいが、記憶がない。
布団の中で天井を見ていると、時間だけが勝手に前へ歩いていく音がする。
俺はまだ、枕元に取り残されている。

「今日も、仕事か。」
言葉は出た。体は出ない。
湯船に沈めたタオルみたいに、全身から力が抜けている。
ため息をひとつ。もう癖になった動きだ。


🧠 なぜ、立ち止まったのか

起き上がる理由が見つからない朝は、つい最近覚えたものじゃない。
少し前から始まって、気づいたら当たり前になっていた。
コーヒーの粉が切れている。牛乳は昨夜で終わり。
買い置きのない大人、という現実が、妙にズシンと響く。

頭の中で、自分が二人いる。
ひとりは現実係で、冷静に言う。「遅刻するぞ」
もうひとりは感情係で、淡々と反論する。「どうせ今日も、同じだろ」
どっちも正しい。だから動けない。正しいって、時々やっかいだ。

思い返せば、若いころは「やりがい」なんて言葉を疑わず持ち歩いていた。
今はどうだ。
「無事に終われば、それでいい」
そう自分に言い聞かせて、毎日を小さく畳んでいる。
畳み方は上手くなった。だけど、胸のしわは増える。


🚶 小さな出口の気づき

このまま布団にしがみついても、今日は勝手に進む。
だったら、せめて“自分の機嫌”くらいは、俺が主導権を握りたい。
理由なんて立派じゃなくていい。
「外の空気を吸う」
それでいい。すぐ戻ってきてもいい。誰にも怒られない。

スウェットのまま玄関を開ける。
冷たい空気が、肺の奥のほこりをひとかき混ぜしていく。
アパートの廊下のコンクリートは、夜露を飲み込んだ後のようにしっとりしている。
遠くで子どもが笑っている。誰かが自転車の鍵を探している金属音。
世界は、俺の気分と関係なく、今日を始めている。

角のコンビニまで歩く。
缶コーヒーを一本。
レジの若い店員が「温めますか?」と聞く。
缶コーヒーは温めないよな、と思いながら「大丈夫です」と答える。
こういう小さな会話でも、体のなかの固まった部分が、少しだけほどける。


☕ 外の空気と缶コーヒー

店を出る。プルタブを引いて、最初の一口を喉に落とす。
苦味がまっすぐ来る。余計な香りがない。
「何も解決してない」
そう思う一方で、心の奥で、目を開ける感覚がわずかにある。
世界の輪郭が、さっきより1ミリだけはっきりする。

ベンチに座って、息を整える。
仕事のことを考える。上司の顔、同僚の癖、終わらない手順。
全部を嫌いになったわけじゃない。
ただ、俺の中で「これでいい」が減って、「これしかない」が増えた。
それが、朝を重くしている。
重さは悪じゃない。だけど、持ち運びには工夫がいる。

缶コーヒーの残りは半分。
ふと、ポケットのスマホが震えた。
通知は会社からじゃない。天気アプリが「今日は乾いた風」と教えてくる。
乾いた風。
そうか。
こういう日に限って、洗濯物は溜まっている。
俺は小さく笑ってしまう。人生、だいたいそういう巡りのタイミングだ。


🌤️ 整えるという生き方

帰ろう。シャワーを浴びよう。シャツを替えよう。
出勤時間は危ういが、遅刻しない程度には帳尻を合わせられる。
完璧は目指さない。今日は、整える日だ。

整える、という言葉は不思議で、何も直していないのに、少し前に進んだ気持ちにしてくれる。
布団から飛び出すほどの元気はない。
でも、玄関のドアノブを回す力は、もう戻ってきている。

部屋に戻って窓を開ける。弱い風がカーテンを持ち上げる。
洗濯機のスイッチを押す。
回り始めた音を聞きながら、俺も動き出したような錯覚を覚える。
錯覚でもいい。動き出す時は、だいたい錯覚から始まる。
それで十分だ。


👣 今日が、もう始まっている

鏡の前で髪を整える。
目の下のくまは、相変わらずの住民だ。追い出す契約は結べていない。
だけど、顔色はさっきより悪くない。
缶コーヒー一本分の勇気が、血の巡りを少しだけ良くした。

玄関で靴ひもを結びながら、ふと考える。
俺はずっと、「大きな理由」を探していたのかもしれない。
会社に行く理由、生きる理由、頑張る理由。
でも、多分、朝に必要なのは「小さな理由」だ。

外の空気。缶コーヒー。洗濯機の音。
それで、やっと一歩ぶんの“今日”が動く。

ドアを開ける。
廊下の先で、さっきより明るい光が待っている。
俺はまだ、人生の答えを持っていない。
けれど、鍵はポケットにあるし、靴ひもは固く結ばれている。
それで今は、じゅうぶんだ。

エレベーターの鏡に映る自分に、小さく言う。
「行ってくる」
誰に向けたわけでもない。
多分、俺自身に向けた合図だ。
今日が、もう始まってしまったのなら、
もう少しだけ歩いてみるか。

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🔸 小さな出口(今日の一歩)

  • 布団の中で迷う前に、玄関を開けて外気を吸う
  • コンビニで缶コーヒー1本
  • 帰ったら洗濯機を回す
  • 完璧は要らない、“整えるだけ”でいい

最後まで読んでいただきありがとうございました。


🪷 心の四季 ― シリーズ全体の地図

第1〜5話=心の冬(停滞・苦悩)/ 第6〜10話=心の春(癒し・受容・再出発)

この章の位置:第1話=「停滞(止まる)

心理の連なり:
停滞 → 苦悩 → 癒し → 受容 → 再出発 → 解放 → 再起 → 受容 → 安心

各話は独立しつつも、全体では「心の冬」から「心の春」へ滑らかに移行する構造です。
自分が今どの季節に近いかを感じながら読むと、物語がより自分ごととして響きます。

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