
🔹 曇り空からのサイクリング
こんにちは、ぼくです。
今日は休み。
朝からブログ制作に集中していましたが、ふと外を見ると空はどんより曇り空でした。
「今日は一日、家で過ごすかな…」
そう思っていたところ、昼過ぎに一筋の光が差してきたのです。
「せっかくだし、少し出かけてみよう」
そんな気持ちに背中を押されて、自転車を引っぱり出しました。
🔹 35℃の猛暑、でも風が気持ちよかった
玄関を開けると、想像以上の青空とむわっとした熱気。
思わず「暑っ…!」と声が出るほど、外は35℃を超えていました。
けれど風があり、走り出すと意外と気持ちがいい。
行き先は決めず、気ままにハンドルを握ってペダルを回しました。
🔹 海岸線へ──風と、砂と、夏の人々と
海岸線を目指して10分ほど走ると、電光掲示板に【強風注意】の文字。
「まあ、いけるだろう」とそのまま進むと、海が見えるあたりから猛烈な風が吹きつけてきました。
砂がビュンビュン舞い、柵の外を走っていたら顔中ザラザラになっていたかもしれません。
それでも、強い風に吹かれながら自転車を走らせると、心が洗われるような気持ちになりました。
夏の海岸は人でにぎわい、家族連れやカップル、学生グループの笑い声が響いていました。
その横を、ぼくは一人で東へ進みました。
🔹 思い出の道に、たどり着いた
市街地に入ると風は収まり、しばらく走るとふとした左折で、かつてよく通った道に出ました。
左手には変わらぬ工場。
しかし、昔よく利用したコンビニやレンタルビデオ店の跡地には、今はおしゃれなマンションが建っています。
「このあたりも、すっかり変わっちゃったな…」
胸の奥に、なんとも言えないノスタルジーがこみ上げました。
🔹 あの頃のぼく──20代前半
30数年前。
高校を卒業したものの進学も就職もせず、週1回だけ専門学校に通いながら、アルバイト生活をしていました。
飲食店や工場を転々としながらも、同世代の仲間とすぐに意気投合。
休みが合えば夜通しドライブに出かけ、古い車に5人詰め込まれて深夜の海沿いを走ったことを今でも覚えています。
カーステレオから流れるのは、ミスチルやB’z、ZARDのカセットテープ。
大声で歌いながら、目的地も決めずただ走るだけ。
コンビニの駐車場で安い缶コーヒーを買って「ここまで来ちゃったな」と笑い合った。
カラオケでは声が枯れるまで熱唱し、友人のアパートでは朝まで「桃鉄」。
隣人に怒鳴られるまで騒ぎ、結局大笑いして眠りにつく。
将来のことなんて誰も真剣に考えていなかった。
貯金もなく、資格もなく、それでも「なんとかなる」と信じられた。
仲間と一緒にいる安心感が、生きる喜びそのものだったのです。
🔹 今のぼく──50代半ば
それから30年。
今のぼくには、
- 車もない
- 飲みに行く友人もいない
- お金も少ない
- 老後の不安が尽きない
- そして、仕事に行くのがつらい毎日
…そんな現実があります。
でも、あの頃の“何も持っていなかった自分”にも、
今の“いろんなものを抱えている自分”にも、確かに「ぼく」が存在している。
🔹 30年前の自分にあった期待と希望
20代の頃、未来は希望に満ちあふれていました。
「やろうと思えばなんでもできる」と信じて疑いませんでした。
- 仕事:経験を積めば一人前になれると信じていた
- 人間関係:友人は一生続くと思っていた
- 恋愛や家庭:30代になれば結婚して家庭を築くと当然のように考えていた
- 趣味や自由:体力も時間も無限にあると信じ、新しい挑戦が楽しみだった
当時のぼくにとって未来は「希望」そのものでした。
老後や孤独といった不安はほとんどなく、「明日は今日より良くなる」と信じられていたのです。
今の自分と重ねて感じるギャップ
ところが現実は、当時思い描いていた未来とは大きく違っていました。
- 仕事:キャリアを積むどころか、清掃業の日々。誇りはあるが評価は低い。
- 人間関係:友人関係も薄れ、職場では孤独を感じることが多い。
- 恋愛や家庭:結婚も子どももなく、同年代の人が孫の話をするたび寂しさが募る。
- 体力や自由:無限だと思っていた体力も衰え、腰や膝の痛みを抱え「もう遅い」と諦めることも増えた。
「あの頃の自分が今の姿を見たら、どう思うだろう?」
きっと落胆するでしょう。
でも同時にこうも思います。
30年経った今でも、ぼくは自転車に乗り、風を感じ、ブログに気持ちを書き続けています。
理想とは違っても、「自分なりに生き延びている」と言えるのです。
ノスタルジーが教えてくれること
過去を懐かしむ気持ちは、ただの後悔や寂しさではありません。
むしろ「今をどう生きるか」を考えるきっかけになります。
- 若い頃の情熱 → 今はサイクリングの達成感に変わった
- 将来の希望 → 今はブログで言葉を残すことに変わった
- 仲間との時間 → 今は読んでくれる誰かとのつながりに変わった
形は変わっても、希望は細く続いています。
まとめ──過去も現在も、どちらも自分
30年前の自分を思い出すと胸が締め付けられます。
しかし、その時代を生きた自分がいたからこそ、今の自分があるのです。
「過去のぼく」も「今のぼく」も、どちらも本当の自分。
そしてこれからも、新しい自分が積み重なっていくのでしょう。
ノスタルジーを抱えながら、それでも今日を生きていく。
それが、50代のぼくがたどり着いた答えです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「30年前のぼく」へ。
今もちゃんと、生きてるよ。
💬 コメント欄で、あなたの想いも教えてください。
🍵 今日も本当に、お疲れさまでした。
※この記事の本文は筆者が執筆した実体験・感想をもとにしており、読みやすさ・構成の整理のため、AIによる文章補助を一部使用しています。
内容に関する最終的な責任は筆者にありますが、文脈や表現の一部にAI由来の再構成が含まれる可能性があることをご了承ください。

